コンタクトセンターでのナレッジサイクル構築を改めて考える【前編】KCSとは?原理原則や持続的な運用の実現方法を聞いてみた
~日本のKCSの第一人者・松野淳一氏に問う「KCS」の実現方法~
投稿日:2026年6月16日 | 更新日:2026年6月16日
コールセンターの現場で活用されるナレッジマネジメントの国際標準フレームワーク「KCS(ナレッジセンターサービス)」は、ナレッジ管理の限界と課題を突破する方法として、2015年頃から国内でも普及が進んでいます。最適なナレッジ管理が人材育成や効率化にもつながり、KCSはこれまで多くのセンターに大きく貢献してきました。AI活用がコールセンターで広がりを見せる今、KCSも新たな局面を迎えているのかもしれません。
KCSの考え方や成功させる要点、さらにはAI活用によりKCS運用のコールセンターで起きている進化と、今後の展望とは――。国内のKCS先駆者であり、支援実績の豊富なHDI国際認定インストラクターの松野淳一氏に話を伺いました。前編、中編、後編の3回にわたってお届けします。
【前編】
KCSとは?原理原則や持続的な運用の実現方法を聞いてみた
【中編】6月23日公開
KCSによる暗黙知を形式知へ変え、コンタクトセンターをさらに進化させるループとは?
【後編】6月30日公開
KCS×AIによるコンタクトセンターのさらなる進化の可能性
■インタビュイー
パーソルビジネスプロセスデザイン株式会社
CX事業本部 ワークスデザイン統括部
松野淳一氏
KCSとFAQ運用の違いと4つの原理原則、持続的な運営のためのコツ
―まず初めに、KCSとは何か、考え方の基本から教えてください。通常のナレッジ運用や、FAQを使ったマニュアルなどとはどう違うのでしょうか?
松野氏:
一般的にFAQは「問い合わせ&回答」のセットであり、お客様自身で問題解決ができるようにするために公開しているタイプのものを指しますが、KCSはまず起点として、コールセンター(カスタマーサポート)内部のナレッジという取り扱いであるところに明確な違いがあります。また、FAQは場合によっては回答結果から逆引きで問い合わせ文を作ることがよくあると思いますが、KCSは基本的に、お客様が問い合わせ時に発した生の言葉や顧客体験を基に、データ作成していきます。
当社も長年KCSを実践しながら、運用が徐々に進化してきました。スタッフが顧客対応を通じて知り得た顧客体験をデータとして蓄積していくだけでなく、顧客体験をより詳しく引き出すための質問につながるスタッフの暗黙知や知見も、データフィールドとして別で蓄積・管理するようにしています。
私たちはこの「顧客体験を引き出す質問」を“傾聴質問”と呼称しており、KCSの教科書でもスタッフの暗黙知や知見の重要性は明記されています。
―次にKCSを実現する上で必要となる原理原則について教えてください。
松野氏:
KCSの原理原則は、①多量多数②需要主導③信頼④価値創造――の4つです。私もずっとKCSを実践してきて、本当にこの4つが軸だなと、身に染みて実感しています。
まず「多量多数」については、データは多ければ多いほどいいです。多くて困ることはありませんし、(利用されるナレッジの)2割:8割の関係性こそあるものの、絶対量が多ければ利用される2割の数も増えていくので、とにかくデータが入っていることに越したことはないという考えで実践しています。
2つ目の「需要主導」は、代表的な例は、データの棚卸しをしないなど、「やらなくてもいいことはやるな」ということです。すごく合理的ですよね。しかしながら、日本人の気質なのか、「正しくしないといけない」といった考えに苛まれて、利用しない8割のデータも手塩に掛けて管理しようとしがちです。そうなると、事実上ナレッジは増えなくなり、KCSの運用もしなくなってしまいます。
私の経験でも、過去にナレッジマネジメントの「負のスパイラル」に陥ってしまったことがあるのですが、今もなおナレッジ運用がうまくいっていないという企業は多い様子です。必要なときにだけ現実的にできることをやる、なおかつ「完璧」ではなく「使うには十分」くらいのさじ加減で割り切ること。「需要主導」はそういうマインドにつながってきます。
3つ目の「信頼」ですが、KCSはまさにチームプレーなので、組織全体で「何をしているのか」という目的を一にしておかなければ、途端に荒廃してしまいます。その上で、スタッフ同士の信頼と相手をリスペクトする姿勢は本当に大切です。チームビルディングができていないと、KCSはうまくいきません。
最後4つ目の「価値創造」は、ナレッジベースの作成・利用・改善を習慣化することで、業務やナレッジの品質、価値向上を図ることを意味します。まさに「ローマは一日にして成らず」と表現できるところで、当社もKCSを実践して10年が過ぎ、ナレッジマネジメントの品質がいよいよ最大化してきました。生成AI時代を迎えた今、改めて「このデータ、すごく使えるね!」と、ナレッジマネジメントの効果が享受できています。

―原理原則2点目の「需要主導(=Demand Driven)」についてですが、需要に基づくサイクルを回すために、やったほうがいいこと/やらないほうがいいことなど、コツを教えていただきたいです。
松野氏:
KCSの業務フローでは、お客様から問い合わせを受けたら、そのお客様を理解するために、問い合わせ内容を必ず検索します。お客様からいろいろ聞いたけれども検索結果になかった場合には、「まずはその問い合わせ内容の分かったことだけでもナレッジに入れましょう」という貴重なトリガーになります。
KCSには、「回答がまだないコンテンツ(フレームコンテンツ)」という概念があるのですが、例えば1日に同じような内容の問い合わせが何件も来ているなど、“きな臭さ”がスタッフ全員で把握できているだけで、「何か起こっているみたいだな。エスカレーション中だから、個々の対応はちょっと待とう」と、一人ずつが調べ始めるような重複行為による混乱が抑止できます。これが「需要主導」の大きなきっかけになるのです。そして、新たな知見が現れれば、既存のコンテンツに遠慮なく修正を加えていくことも「需要主導」において重要です。
対応の中で学んだことを、学んだタイミングで登録していき、次に同様の問い合わせがあった際にはそのコンテンツが検索されて使われていく――。このサイクルは何のきっかけもなく始まるものではないので、必要なときにスイッチを入れるように徹するオペレーションが、「需要主導」のコツになると思います。
―回答がまだ分かっていない状態だとしても、「需要(=デマンド)」はもうすでに存在しているので、まずはセンターの全員が共有できるようにしておくということでしょうか?
松野氏:
そうですね、組織が経験したことのない入電が1件でも入れば、お客様から聞けた分の内容だけでも登録しておくことが大事です。正式回答はセンターのポリシーも含めて、その後検討されていくことになりますが、「こういう問い合わせがあった/増えている」という事実だけでも全員が知り得ると、正式回答が出るまでの間も何かしらの行動は取りやすくなりますからね。
―持続的にサイクルを回し、運用していくためには、「回答がまだない=完璧ではない」状態でも、とにかくナレッジコンテンツを入れていくことが重要なのですね。
松野氏:
その通りです。ナレッジ運用は結局のところ、完璧という概念がなく、終わりもないのです。ずっと続けられるように日々何ができるか、なおかつ、今起きている“きな臭さ”をリアルタイムで知るためにはどうすべきか。そう考えると、優先すべきは正しいか正しくないかではなく、事実あったことを共有する迅速さなのです。
それがKCSの特長であり、良さであるにもかかわらず、やはり正しいか正しくないかを優先してしまう企業は少なくありません。特に金融関係の企業からは「誤案内をしてしまうので、当社ではできない」といった声が過去多く聞かれました。でも、よく考えてみてください。マニュアルにないことは絶対に答えないのか?ベテランスタッフが資料を見ないで回答した内容は正しかったとしても、品質をどう担保しているのか?――と。
むしろ逆に、当社ではKCSを始めてからミスオペレーションや誤案内がなくなりました。誤案内の最たる要因は、自社の持つ情報の誤用ではなく、お客様が言っている用件をしっかりロックオンできずに間違えて捉えてしまうところにあります。
KCSは傾聴質問も徹底して、お客様に「このご用件でよろしいですか?」と、用件を的確にロックオンするプロセスが働くため、誤案内が減っていくのです。少なくとも、「お客様がよく分からないことを言っています」と、スタッフがSVに相談するような無駄なやり取りはなくなるでしょう。回答がまだ不確定であっても、用件を聴取していくことで、理想的な答えに近づいていくわけです。
誤案内を不安視していた金融関係の企業からは、当時もう一つ、「Watson(知能システム)にマニュアル、約款などの形式知のナレッジを詰め込んで新人でも早く自立できるシステムを作ったつもりが、お客様の言っていることが理解できないから、そのシステムで何と検索したらよいか分からない」という相談も受けました。要は、誰でも使いやすい検索システムを作りたい意図とは反して、脳内変換で用件を咀嚼できるベテランのためだけの検索システムになってしまっていたんですよね。
そうなると、“会話の途絶え(魔の空白時間)”に陥ります。もはや新人スタッフは針のむしろで、お客様が何を言っているのか分からなければ、用件をあぶりだすために聞くべきことも分からないまま、対応中にものすごいストレスにさらされる時間が流れてしまう。その点、KCSを実践していれば質問や会話が続くので、スタッフの精神的苦痛の払拭にもつながっていきます。

「お客様の生の声のまま」「傾聴質問」「ナレッジの棚卸しをしない」の重要性
―冒頭でFAQ運用との違いを教えていただきましたが、KCSを活かしていくために必要な点をさらに深掘りして教えてください。
松野氏:
KCSそのもののナレッジの使い方は、答えが分からないから検索するというのも確かにそうなのですが、回答を探す前に、お客様が何を言っているのかしっかり理解するために、「もう少し詳しく教えていただきたいのですが――」と、傾聴質問をすることが大事です。そして、なぜその問い合わせをするに至ったのか、お客様の生の言葉からいきさつや背景を拾って、単語ベースよりもできるだけ文脈化していきます。
文脈化して分かったお客様のご所望や置かれている状況を、蓄積したナレッジに照らし合わせて、過去に問い合わせを受けた同様の顧客体験を探して取り出します。同様の顧客体験が見つかれば、お客様に「もしかするとこういう状況でしょうか?」とお聞きし、「そうなんです!」と共感されれば、その過去の対応実績から最適なご案内が提供できます。
このように、KCSはまずお客様のご用件をしっかり咀嚼し、それを検索の目的に据えるので、データの在り方も回答する企業側よがりではなく、お客様視点に立っていることも特徴です。
―傾聴質問でお客様から聞き取るときや、ナレッジに反映するときに、気を付けることはありますか?
松野氏:
問い合わせするに至った背景を文脈化はするものの、お客様の生の言葉を変に加工したり、意訳したりしないようにしています。お客様が発したフレーズは大切な証跡になるので、できる限り生のままキャプチャーすることが大事です。
当社での事例を挙げると、テクニカルサポート部門で電子カルテ会社のコールセンター業務をサポートしているのですが、電子カルテのUPS(無停電電源装置)についての困りごとで問い合わせが入ってくるときは、「黒い箱がピーピー鳴っているのですが……」という風に、装置の正式名称を言う人はほとんどいません。このときにスタッフは「黒い箱 ピーピー」で検索して、過去の同様の顧客体験から対処法などを提案していくわけです。
つまり、どういうことかと言うと、もしスタッフが暗黙知で「黒い箱」を「UPS」や「無停電電源装置」に意訳してデータ化してしまうと、「黒い箱 ピーピー」で検索できなくなり、スタッフはまず「黒い箱=UPS」と特定するまでの手間が生じてしまいます。そうなると、新人のスタッフが特に困るであろうことや、ベテランスタッフの経験に頼った属人化が進んでしまうことは、想像に難くないと思います。
お客様の言っていることが分からなければ、膨大な資料から対応策を検索することすらできませんし、そもそも形式的なマニュアルでは「黒い箱 ピーピー」と検索しても、間違いなくヒットしません。だからこそ、「黒い箱ということは、UPSだな」と脳内変換せず、お客様の生の言葉を共通言語としてデータに蓄積していくことが大切です。
それともう一つ、「正しい」という考え方に苛まされすぎず、「使えればいいよね」という意識でナレッジコンテンツを入れていくこともポイントです。私自身もKCSを導入する以前には、技術的に正しく情報を探求して検証されたものでないと入れてはいけない――と、鋭意取り組んできた経験があります。ですが、効率や労力からしても、KCS導入後のほうが明らかに状況は改善しています。
KCSはナレッジコンテンツが多少不明瞭であっても、スタッフが想起・類推して使えるならば、それでいいという発想です。当然ながら、間違った情報を入れてはいけませんが、使うに十分な価値があればいいと割り切ることですね。
―「使えればいい」という発想だからこそ、KCSは「ナレッジの棚卸しをしない」ことを一つの条件としているのですね。
松野氏:
その通りです。ナレッジの棚卸しをして全て正しく管理しようにも、現実的に無理がありますよね。
ちなみに、当社はKCSを導入して約10年間、ナレッジをどんどん増やして資産化する方針で取り組んできた結果、ナレッジコンテンツは累積で76万件に達しました。レコード数を単純計算すると、これだけ膨大な件数になるわけです。この数からも、中身を全て緻密に正しくすることが優先ではないとお分かりいただけると思います。
ただし、「棚卸しをしない」のは、あくまでも内部ナレッジに限ります。外部公開する情報やコンテンツは企業の公式見解の扱いになるので、終了や変更のあった情報がそのまま放置されていると、責任問題にもなりかねません。お客様や外部に向けて公開するコンテンツは、きっちり管理しておきましょう。
―データは資産になる一方で、ため続けると管理コストも気になるところですが、どこかのタイミングで使わないナレッジは消去したりするのでしょうか?
松野氏:
いえ、消去などはしていません。KCSでは言うならば、ナレッジは使うときにしか手間をかけないので、データが膨大な量になっても、人の労力や工数には影響が及ばないようにしています。また、昨今はITの性能も高いので、データが重すぎて動かなくなるといった事象も起きていませんし、特に懸念もしていません。なので、使わないデータは消去もせず、KCSの基本に忠実に「放っておく」ことを前提としています。
一般的に、ナレッジベースのうち利用されるのは2割ほどで、8割は利用されません。たった2割のナレッジを、再利用するタイミングでブラッシュアップしていくだけなので、データをためておくことによる手間のリスクはほぼないのです。
他方で、残り8割のナレッジがゴミかと言うと、そんなこともありません。数万人に一人しか該当しないほど稀な事象でも、何年か前に同じ顧客体験をした事例がナレッジに入っていれば、それは低頻度でも非常に大きな価値を持っているデータだと言えます。ですので、使わないデータだからと言って捨てるのはもったいないという考えが、KCSでは前提となっています。
補足すると、例えばセンターで問い合わせ対応をしている製品やサービス自体がEOL(End of Life、終了)を迎えたときなども、データを捨てることなくアーカイブしておき、スタッフ全員が検索する主要な場所からはよけて管理しておくことがあります。今後同じ類の製品やサービスが出たときに、「機能は違うけれども同じことが過去に起きていた」と学ぶことができ、それも大事な資産となるからです。
―KCSは、問い合わせが来ることでナレッジが作られていく運用なので、最初は問い合わせの質問に対する回答がない状態から運用が始まるのでしょうか?
松野氏:
理論上はゼロレコードからのスタートなのですが、当然ながらゼロレコードでは検索ができませんよね。なので、呼び水として、過去のナレッジを数件でも入れてから始めることになります。
ですが、KCSでできたわけではないレガシーデータのナレッジは、そのまま全部引き継がないほうがいいと言われています。なぜなら、冒頭でも言ったように、お客様の生の声が専門用語やきれいな言葉に変換されていたりすると、それはお客様視点に立っているとは言えないので、KCSの考え方に相反します。KCSに合わないデータが入っていると、逆に運用がしんどくなって背骨を失ってしまう懸念すらあるのです。
KCSを始めるときに、例えば当社はどうしているかと言うと、クライアント企業の前ベンダーから引き取った過去のナレッジの中から、使えるものだけをKCSのデータベースに移植して、作り変えながらKCSのナレッジを増やしていく――という方法を取ったりしています。